ちなみに、主人は決して、私の前では涙を見せません。一緒にいる時は一生懸命笑わせよう、楽しくしようとしてくれます。でも、私は泣いたり、時に酷い事を言ったり・・・悲しませてしまう。主人が泣いたのを見たのは2回だけです。 1週間後に上司に呼ばれ「検討したが、決定は変更できない」と言われ3月退職が決まりました。 私の父は・・ガンで亡くなりました。 それから母は放射線治療と抗癌剤治療を受けることを選択し、3週間後に退院してからは自宅からの通院治療を続けました。 警察関係者、家族、友人誰一人として私を非難する人はいませんでした。非難されれば、それは、とても辛いことなので、感謝しなくてはいけないと思いますし、周りの温かさに随分救われました。なぜ自分は自分を許せないのでしょうね。自分を責める事で自分を守っているのでしょうか。かわいそうと思ってもらいたい、同情して欲しい・・・心の中ではそんな気持ちもあるような気がします。情けないですね。 そして、4/17 夕方母は家族全員に看取られて、最後は私の手を握って、痛みに苦しみながら、荒い呼吸が段々と小さくなって呼吸が完全に停止し、永眠しました。 壁は逃げれば自分についてきてどんどん高く厚くなります。 あなたの笑顔が見たくて、がんばって産まれてきたってよ。 2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。食事はほとんど取れていません。薬を飲むために数口食べるのがやっとです。 研修医は「こちらの点滴がモルヒネです!(モ)と書いておきますね!わかるように!」・・と。 尿はカテーテルを留置することになります。 今までずっとお父さんを支えていたのはお母さんだったので、当時の私には一緒に支える方法を知りませんでした。 Meaningfulness of Storytelling one's Illness experience. 研修医は優しく、真面目ですよね!一生懸命だし・・。 栄養はいったん胃腸でエネルギーを消費して消化吸収され、肝臓でエネルギーを...続きを読む, どうしても理解できない。 つまり、体が利用できないのに栄養を口から又は点滴で投与しても、かえって体のエネルギーを浪費するだけに終わります。また、肝臓や腎臓の機能が落ちていることが多く、余った栄養を処理できずに肝性脳症や尿毒症になり、栄養点滴が原因で昏睡になることもあります。そこまで行かなくても、栄養点滴はむくみの原因となり、肺浮腫などで呼吸状態が悪化したり、腹水の増加につながるなど、いいことが全く亡いために、現在では行われなくなっているのです。 こんな私が言うのはなんですが、今はあなたのやりたいように、好きなだけ休ませてあげてください。 「お父さん!!痛い?」と聞くと「ううん!痛くないよ・・!」と 抗がん剤の治療は今月から始めたばかりで、 お腹の中で原因不明の難病にかかり、肺が育たず、しかし体はどんどん浮腫み続け。 次の子供を作ったらと母乳を止めるために行った病院でも、警察でも言われました。 また、心配や不安、疑問は、無料のネット相談を利用しました。 一番ビックリしたのは・・1ヶ月に1回外来で行く状況(慢性膵炎で)のある時・・。 突然として ほんとに会いたいです。そして娘と話がしたい。たまにテレビで、第六感にすぐれている外国の方が出ていますが、もしあのように、亡くなった家族と話せる人がいたら、ぜひ我が家に来て欲しい。…なんてありもしない想像をしてしまいます。 原因不明。お母さんのせいではない。周り...続きを読む, 45歳、乳がんで、見つかった時にはもうリンパと肝臓に転移していて、ステージ4と言われました。 おっしゃる通り親子で質問コーナーをしたいと思うのですが、現在の子供の精神状況ではフランクに話ができません。そのためにも、早く子供が死を受容してくれることをいのってます。 私の願いは娘にただ会いたいということです。ママを事を許してくれる?パパとママの事好き?聞きたいことが、話したいことが沢山です。 これから先、お迎えが来るまで私は悲しみを乗り越えて、生きて行かないといけません。私一人ではどうしても悪い方向に考えてしまいます。皆様の経験談や悲しみの乗り越え方のアドバイスをお待ちしております。どうぞ、宜しくお願いします。 時間が経てば事の意味を理解し乗り越えてくれると思いますが、どちらも繊細な性格なので、万が一にも落ち込みすぎて心を病んでしまったり、逆に人生に自暴自棄になったりしたら安心して往くことができません。 1日のほどんどを眠り続ける母に、モルヒネを少し少なくしてもらったらどうか? 質問がパッと目に入り、少し迷いましたが、 母は久々に嬉しそうな顔をして「じゃ、お母さん頑張って食事取るね」と言いました。私は自分の部屋でわんわん泣きました。 今でも、お父さんが焼かれて骨になった姿は焼き付いて消えません。 入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。 これがいつまで続くのかわかりませんが、なんとかやっていきます。 だからお父さんはお母さんの前でしか泣きません。 私も、家族友人みな温かい言葉をかけてくれ、責める人は誰もいませんでした。 かけがえのない娘の命をうばった「がん」は、数年後、妻の命も奪いました。妻は大腸がんでした。発覚したときは既に末期で、前向きな治療法はとれませんでした。妻が最期まで生き抜いた証をここに残します。はじめにこのブログ記事を読んでくれている人は、ど 私の1番の恐れは、もがき苦しむ最期を家族に見せてしまうのではないかと言うことです。 なぜ、急に退院させようとするのか真意を聞けるといいかもしれません。 骨転移は比較的進行が遅いですし、何よりもポジティブな気持ちでいると進...続きを読む, 4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。 足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。 長々書きましたが、何が言いたいかというと、がん患者の場合どのような早さで病状が進むのか、 母、そして家族と相談し、病院が斡旋する在宅看護を受けつつ、他の治療法を探す事にしました。 足のむくみについては、心機能や腎機能などの臓器機能の低下や血流障害(これには、末梢の循環障害のほかに腹腔内のリンパ節転移などの圧迫による静脈還流の低下などが含まれます)、栄養状態が不良のため血液中の蛋白濃度が低下した場合など。 場合もあります。 (ちょっと判らなかったので・・すいません!) 私は本当の事は言えずに「先生は、薬は無い訳じゃないけれど、今は体力が落ちているので、その薬が飲めるようになるまで体力を戻す事が先決だと言っていたよ」と伝えました。 次の子に亡くなった我が子を重ねず次の子として捉えられる自信がついた時が、次の子を作る時期なのだとおもいます。 他の回答者の答えにもありましたが、あなた自身もよい選択をしておられるように思います。 肺へも転移し、咳がひどいです。 お客様の許可なしに外部サービスに投稿することはございませんのでご安心ください。, ディズニー英語システムを買おうか迷ってます。 一歳8ヶ月の子供がいて、今はサンプルのDVDを聞いて、. がんが体の細胞一つ一つの栄養代謝を乱すため、細胞が摂取した栄養を使用できなくなります。 今は少し心が疲れてるんです。 脳の機能が低下すれば…… わかりません。 それとも・・別の患者さんを、質問者様が見ていらして感じたこと?では無いですよね? 「意識は最後まであるものですか?」 私が目をそむけ、現実逃避しようとした現実から最後まで逃げなかったあなたは誰よりも強いと思います。 胸のリンパ節への再発で、手術もできない場所です。 離婚して離れた父が末期ガンを患い、もう長くないようです。僕はいまどうすればいいのでしょうか. がんが特別な毒素を出すわけではありません。 そうすればあなたが一人ではないことに気がつくでしょう。 亡くなる前日、いえ当日の午前まで普通に話もし食事も取りました。 これについては最優先事項として主治医に伝えてあります。 ご自分の健康も大切ですから。  こういった状態のとき、脈拍数は180と非常に高い数値を示していました。血圧や血中酸素濃度が低いにもかかわらず脈拍数が落ちてきたら非常に危険だと言えるでしょう。 ありがとうございました。, ありがとうございます。 今年の3月頃までは癌だと思えないほど元気な母でしたが ただ痛みだけは取ってあげてください。という話をしたため、それ以降血液検査やレントゲンなどの検査を1ヶ月以上全くしていません。 しないという選択肢もあります。 お願いして・・早く辛さを取ってあげて下さい!! お父さまは厳しい状態のようですね。 何かお役に立てるかと思い、投稿しました。 お察しします。 がんが体の細胞一つ一つの栄養代謝を乱すため、細胞が摂取した栄養を使用できなくなります。 様々な症状の一つには、疼痛もあります。 その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。 「入院してはどうかな?お父様にもおっしゃってみて!」と言われました。 栄養が不足=飢餓状態とことなり、食欲がわかずに、筋肉が痩せてくることが特徴です。 では、なぜ、人はがんで死ぬのか? 退職は会社から解雇通告されたからです。解雇理由は「ここ一年の仕事のパフォーマンスが低い」からとの事でした。 母を肝臓がんで亡くし、現在私も乳がんの再発で治療しており 長文失礼しました。, はじめまして。 この状態で、あとどのくらいと考えていればいいでしょうか。。。 今思えば自分は本当に幼かった とにかく避けて進めて!・・と言いました。 入院して主治医は同じですが・・いつも来てくれるのは研修医です! 私に笑いかけてくれました。 とことん向き合ったおかげで、私は気持ちを押し込める事無く、整理をつける事が出来たと思っています。 それからお父さんは余命宣告よりも5か月も長く生きました。 しかし父は2ヶ月近く一切の飲食を行っていないため身体は骨と皮のみ。自力で立ち上がることも自分で歯を磨くことも顔を洗うこともできません。 がん 闘病記(現在進行形) (433) 女性・婦人科の病気 (420) 1型糖尿病(小児糖尿病) (407) ダウン症候群 (384) 潰瘍性大腸炎 (382) 病気 闘病記(現在進行形) (344) 子宮筋腫 (337) 子供・赤ちゃんの病気 … 「産まれて愛される娘」が彼女の望みではないのです。 意識は朦朧としていることはありますが、1週間ほど前から母や子供である私達に涙を流しながら「今まで面倒を見てくれてありがとう」「夕べ親父と兄貴がきて(どちらも昨年亡くなっています)俺たちと一緒に暮らそうって言ってくれたんだ」と言ったりして、顔は今までの苦しみから解放されたかのような穏やかな表情をしておりました。 抗がん剤の副作用など、これから辛い治療が続くと思いますが、乳がんは治療法も豊富で、長く生き延びることのできるがんですから、あきらめない、粘り強い精神力と、自分にとって最善の治療方法を見つけることが大切だと思います。 三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。 私は身近な人で死んだ人がいなかったので、お父さんの死ということがあまり上手く理解できませんでした。 何が起きても不思議ではない、ということです。 医師から、これ以上お腹にいさせたら浮腫みで死んでしまうと宣告されました。30週で帝王切開しました。 下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最も考えられますが他の場所への転移、浸潤、潰瘍形成などによる出血の可能性もあります。  ですが、その後苦しみ始め、すぐモルヒネを頼みましたが、その前に呼吸が停止したのです。 また尿について、尿道に管を通し直接尿を出していますが、ここ1週間ほどは尿パックには血液のみというくらい真っ赤な尿がたまっています。(麻薬投与により本人は痛みなどはありません)また尿量も入院時の半分以下になっています。 そして・・運良く内服の抗がん剤で時を過ごしました。 「自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか?」 父と話がしたいし、生きていてくれることはとてもうれしく思います。 がん 闘病記(永眠)ブログの人気ブログランキング、ブログ検索、最新記事表示が大人気のブログ総合サイト。ランキング参加者募集中です(無料)。 - 病気ブログ 母親の死についてどう説明したか ブログの中でも何回か書いておりますが、私には7歳になる息子がいます。 妻の死、息子からすると母親の死を息子にどう説明するか、これは親としてとても大きな問題だ … 人にはいつか自力で乗り越えなければならないとてつもなく高くて厚い壁が一度は来ると思います。 高校一年生と中学二年生の男子です。病気については自分の口から伝えました。予想どおり大きなショックを受けた様子です。 >本当に次に子供を授かる事が出来たら、乗り越えられますか? 私は「とうとう来たか!!」と深呼吸をして・・明日から色々な事が変わっていくのだろう・・と思いました。 残酷な言い方ですが、何らかの理由で昏睡状態になった場合、 「楽しいこと、嬉しいことがあったとき、ありがとうの気持ちとともに伝えてくれ」と言ってあります。 長男はメールの方がいいようなのでメール交換しています。 しかし、医師から出てきた言葉は「膵臓にがんがある、進行がんでステージ4a、がん摘出手術は出来ない、バイパス手術も出来ない、ステント挿入手術をしたいがそれも成功するか分からない」との事でした。母はその時点でも毎日の様に嘔吐していましたので、元々小太りだった体型はかなり痩せてしまっておりました。 残された時間は私自身の慰めや思い出作りのためではなく、残される妻と子供たちが生きていくための力と知恵を伝えることに注ぎたいと思います。 「検診=無効=自分にとってかえってマイナスだった」(ただの被ばくにすぎなかった)ことになりました。 亡くなった我が子に会いたいですよね。 素敵なお母さんお父さんに愛されて、幸せな一生だったと思いますよ。 (父は良く判らなかったけど・・私は延命治療・・と感じました) また本日内科の担当医から聞いた話ですが、「泌尿器科の〇〇先生のお話では父の前立腺がんの進行はあと1年は大丈夫であろうという見立てです」と言われました。(〇〇先生は父の担当医ではありません) 三人家族で私がまだ精神的に幼いと両親は考えたのか、お父さんの病気のことをまだ受け止められないと思い病気のことは黙っていました。 夜一人部屋の中で色んな思いが溢れて泣きました。 良い亡くなり方だったと思いました・・悲しさは逆に半減しました。 ですが、元気にしてますよ。自分ひとりで全ての家事ができるほどの状態ではありませんが、週に2回ほど親に家事を手伝ってもらいながらも、元気に毎日過ごしてます。ぜんぜん寝たきりなどではありません。 その時点で私は会社には完全に愛想が尽きていたので、すぐにパッケージにサインし、4月からは「会社からは家族の状況を相談したら介護休暇と言うのをもらえた、だから、当分は自分が母さんの身の回りの世話をする」と家族に説明しました。母は喜んでいました。 ということです。 で、伝えて欲しいと言っていたのはもうひとつ。 「もうすぐ新しい命がやってくるから、心配しないで!その子の為に笑ってて、もう少し待っててね」ってさ。」, お嬢様の、18ヶ月の人生はとても輝かしいものだった事と思います。 精神的に辛い時は、精神腫瘍科なども利用すると心が楽になると思います。 気管支のがん細胞が増殖して気管支を塞げば、窒息の危険があります。 そこで、子供たちが自分の力で考え理解していくには読書が近道なのかとも思っています。 あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。 おっしゃるとおり子供と妻に手紙を書いています。妻と次男とは交換日記も始めました。 この3つが「父」が私にゆっくりと、真剣に話してくれた希望でした。 お腹の中で原因不明の難病にかかり、肺が育たず、しかし体はどんどん浮腫み続け。 昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。 とくに「死」を恐れている下の娘には死の直前の苦しむ姿を見せるのは避けたい . 笹野富美夫の肝臓がん末期、余命3ヶ月の宣告から克服までの闘病記年表です。 体調に異変を感じ始めた2003年(平成15年)から、肝臓がんの全ての腫瘍が消えて癌を克服した2005年(平成17年)までの年 … 今ではほんの少し動いただけでも息切れがひどく、時々咳き込んで嘔吐してしまいます。 当てにはならないと思います。私の周辺で、医者の予測が当たった人など、少ないくらいです。 母はこれからどうなっていくのでしょうか。 自分でトイレにも行けなくなったらどうすればいいのですか? もちろん、治療は続きます。今後また姿を現す可能性は高いでしょう。  全体としては、「血中酸素濃度の低下」「急激な血圧の低下」「呼吸の力強さの低下」の順で危険度が増す感じでした。 長々と・・しかも体験談だけのくだらないお答えかもしれませんが書かせて頂きました!! 本当に次に子供を授かる事が出来たら、乗り越えられますか? 冷たく硬直した体を必死で温めて、人工呼吸や心臓マッサージをしたり、動かしたらいけないのは分ってるのに、救急車が来るまで、何かせずにはいられませんでした。目の前にあるのは絶望でした。 おっぱいをあげてから寝かしつけたのは私です。娘は寝かしつけた1,2時間後に亡くなったようです。深い眠りについてしまった私は、翌日起きるまで、娘の異変に気が付きませんでした。主人も良く眠っていると思ったようで、朝早く、起こさないようにそっと出勤したようです。 また今後はどういう状態に気をつければいいのでしょうか。 長くなってしまい申し訳ありません。 ・「闘病記」…がんで親と死別した直後からの気持ち が記録された出版物とした.また,①著者が青年期 にがんで親を失った本人である,②インタビュー形 式で本人の直接の気持ちがわかるものの2つに限定 した.何人もの闘病記が1冊にまとめられた短編集 お父さまのことさぞ心を痛めてらっしゃるでしょうね でももう心はギリギリで高二の夏に精神を病み学校へは行けなくなりました。 腎臓の機能が低下すれば…… 「娘さんはとっても笑顔が素敵でした! 今は、エンドキサンとファルモルビシンを投与しています。, 4月に乳がんの告知を受け、5月に全摘出手術、現在ホルモン治療中です。 ありがとうございました。, ありがとうございます。 ◎抗がん剤治療はしてもよいが・・入院は避けたい!! 更に命が短くなる事は覚悟していましたし・・でも「痛く、辛く、苦しくない!!!!!!」 ちょっとした乳がん以外の相談なら「アスクドクターズ」(月ごとに安価だったと思います)などでも相談できます。他にもいろいろ出てくると思いますから、情報化社会を存分に利用していただきたいです。 治療された方、詳しいことを知って見える方、その他どんな情報でもいいので教えてください。 同じような経験をお持ちの方アドバイス頂けたら幸いです。 血圧は高い日もありますが平均60/40前後です。(あがっても70くらい) 質問者さまも、周りのかたの温かさに救われておられるとの事。 大切な人との別れから何を感じ、何を知るかが書かれた良書がありましたらご紹介下さい。 実は私も著書があります。原稿と言う形に仕上げるにはあまりにも時間が足りないです。 ありがとうございました。, ありがとうございます。 今まであなたもずっと闘ってきたのだから、何もやる気がしなかったり、脱け殻のような状態から無理に抜け出そうとしないでください。 足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。 一日、一日ごとにどんどん体力がなくなり弱くなっていきます。 私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。 よろしくお願いします。 お察しします。 私は「しばらくは仕方ないけど、何年経っても泣き声ばかり聞こえてくるのは辛いよ」 ありがとうございました。, 「末期ガン」に関するQ&A: 末期がんでイタイイタイと泣いている人にどうしてモルヒネを打ってあげないのか?, 「スピリチュアル 意味」に関するQ&A: スピリチュアルな観点で・・・全ての縁が切れる時期, 「プレゼント 新入社員」に関するQ&A: LINEの未読スルー。何日で見切りをつけますか?, 「天国からの手紙」に関するQ&A: 私は元在日韓国人です。愚痴らせてください。, 「ディズニー パソコン」に関するQ&A: テプラとネームランドどちらがいいと思いますか?, 「ディズニー 本」に関するQ&A: ディズニー英語システムやその他の教材(長文です。), 末期癌~死ぬまでの状況を教えてください。  そしてその死の手前には、命を賭けた闘病が待っています。 ついこの間、小さな仔犬でうちにきたと思っていたあの子が、あっという間に自分を追い越して、お爺ちゃんや、お婆ちゃんになっていく。 お父さまは厳しい状態のようですね。 よろしくお願いします。, 「ディズニー 子供」に関するQ&A: ディズニー英語システムを買おうか迷ってます。 一歳8ヶ月の子供がいて、今はサンプルのDVDを聞いて、. そして、愛の言葉もたくさんかけてあげたいです。 私がそうだったように。  病院で血圧を測定する機械に触れましたが、上が60を切ると機械が電子音を出して緊急性を表していました。 この過程を経た今、私は確かに今の生活にしっかり目を向けて過ごす事が出来ている。という事だけははっきり申し上げられます。 原因不明。お母さんのせいではない。周りからそう言ってもらえて、頭で理解出来ていても、何かに責任を見出そうとせずにはいられないんですよね。だから、自分が悪いのだ、周りもむしろ私を責めてくれた方が私自身も気持ちのやり場が出来るのに、と思ってしまう。 3ヶ月後は自分の誕生日…… 理解できません。病状が静かに安定しているならまだしも、怒鳴ったり、呼吸が苦しそうなど これです!!重要なのは・・。 この世に神様はいないのかと本気で思いました。 少し気持ち悪いけど・・その気持ち悪さもだんだん取れて、元気になってきました。食欲はあるし、車を運転して好きな場所に行くし、買い物も行くし・・普通の人と変わらない?・・それ以上かも・・と思われるくらい! どうぞよろしくお願いします。, 義母が末期癌です。大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。 その障害が引き起こす様々な症状によって、死にいたるのです。 少しでも心の準備ができればと思います。 末期ガンを宣告されました。余命は長くて1年です。自分自身の覚悟はできましたが、子供の心が心配です。 そして本日、早朝から担当医から急遽呼び出しを受け、入院のきっかけになった肺炎(肺に膿が溜まりそれに膜が張っている状態)でしたが、継続的に抗生物質を投与したことにより、肺炎がおさまって来たので、今日明日中に退院してくださいと言われました。 1年でステージ4まで行くものなのでしょうか? 今はそうとは思えないかも知れませんが、質問主さまも、亡くなられたお嬢様に対し、心穏やかに感謝の気持ちを心に満たす事が出来る日が来ると思います。長い年月をかけるかも知れませんが、きっと訪れると思っています。 急に食欲もなくなりました。 誠に差し出がましいですが、あなた様のお父様もいつまでも鳴き声が聞こえてきたら辛いのではないかと思います。 でも、ふとある時、よぎったのは 今後のこととなれば、母の場合は、厳しい状態ではありましたが 子供を亡くしたとき、次の子を作る時期は早すぎないほうが良いと聞きます。 というのも、私立は学費が高かったので、あまり成績はよくありませんでしたが、奨学金を目指し必死で頑張りました。 人によってものすごく差があるということです。 我が家はとりあえず思春期以上なのでどうなってもなるようになるでしょうが、小さなお子様を抱えた回答者様は私よりも、私の残される家族よりもさぞかし大変な事でしょう。 発見した時、助からないのは一目で分りました。 2.脳転移による精神症状が最期まで出ることなく死にたい。人格が崩壊した様を子供たちには見せたくないので、精神症状が出るくらいなら、鎮静剤で眠らせてほしい 父の希望を真剣に聞きました。 そしてどうか、ご主人も気持ちのままに、泣きたい時は泣いて欲しいと願っています。 質問者様の身内の方が、その患者さん・・という事で良いのですよね? 入院中は飲食は全くできず、意識は朦朧しており、せん妄がかなり強く出ており、1日1日弱っていく父をみんなで手を握りながら穏やかに過ごせるように努力をしてきました。 それと、妻のことを「お母さん」と呼んでいましたがこれからは子供が出来るまでのように互いの名前で呼び会うようにもし、子供達にも宣言しました。残りの時間、家族の役割としての呼び方ではなく、お互いの人格を尊重して呼び合うことにし、有意義に過ごしていきたいと思います。 今あなたの文章を読んで泣いてしまいました。 同じ病気にかかり、転移再発したという人にも出会い、ネットのブログでもよく見かけますが、私は転移再発しても、乳がんは10年以上延命できる時代になっているように感じています。 それとも・・別の患者さんを、質問者様が見ていらして感じたこと?では無いですよね? お役に立てたかどうかわかりません おっしゃるように自分の歩んだ道を書き残していきます。 感情が消えたみたいです。抜け殻の様な感じです。 涙がボロボロと流れて止まりませんでした。医師からは具体的な余命は告げられませんでしたが、事の深刻さは分かりました。 苦しくなったら、こうやって、いまみたいな場で良いから、吐き出して見てください。 どうしてモルヒネを打ちまくって安らかに死なせてあげないのだろうか? ただ痛いだけで生きている価値があるのか? たとえ寿命が半分になって半年生きるところが三ヶ月になったところで痛いだけの六ヶ月と安らかな三ヶ月とどちらが良いか。モルヒネなんて病院の畑でケシの花かなんか知らないけど栽培したらただで作れるじゃないか。値段の問題は栽培すれば解決する。どうして末期がんの患者を苦しませるのだろうか? モルヒネ投与を禁じている医者が末期がんになったら自分で打ちまくるのではないだろうか? もしそうだとしたら矛盾していないだろうか?, 質問拝見しました!! そうすれば、ある時からきっと生きる気力が湧いてきて前向きにいまを考えることができると思います。 父は「そうだなぁ・・入院するかぁ~・・・」と答えました いつかは伝わる、それが本当だと思います。しかし、余命を宣告された時点で、あれもしなければ、これもしなければと焦っていたのかもしれません。 自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。 私の父は・・ガンで亡くなりました。 でも、すぐ亡くなって、お母さんが毎日悲しんでるのを見て辛かったみたいです。 シルバーバーチや江原啓之氏は申し訳ありませんが子供には読ませたくありません。私は読んだことがあります。 死に至る病――うつ病闘病記⑥「死という選択肢の出現」 ... 子供の時から、何か妙な感じがしていた。 鍵を閉めること、ガスを止めること、特にトイレはいつ行きたくなるか、恐怖を覚える位だった。 父は厳しい人だった。 どんな小さなことでもいいです。ご存知のことがあれば教えていただけないでしょうか。 大きな血管にがんができて、血管が破れるということも起きます。 複数の方からご紹介いただいた「葉っぱのフレディ」を家族に読ませました。なんとなくでは有りますが死にゆくことの道理を考え始めることが出来るようになったのではと思います。 何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔… 納骨しろと言う人もおらず、住職さんも「幼くして亡くなった子はまだまだ両親のそばにいさせてあげて良いのですよ」と言ってくれました。 長文にお付き合いくださり、本当にありがとうございました。, 内容に不快感を持たれる方がいらっしゃいましたら、申しわけありません。予めお詫び致します。 「胃ガンです!余命1年です」と言われて帰ってきたのです。 ちょっと痛みがあるので激しく体を動かしたり、掃除機のような重いものを運べないだけで、お出かけもしますし、海外旅行にも行きます。 質問者さまのさぞお辛い気持ち、本当によくわかります。私も最近になってようやく、普通の精神状態になりましたが、しこりを見つけた3月から治療が始まる7月くらいまでは、何を見ても悲しく、テレビもを見ることも本も読むこともできずに泣いてばかりで、精神科にも通いました。 ごーちゃんの肺癌闘病記 2018年12月に肺の多形癌を発病しました。 2019年10月に再発して末期癌になりました。キイトルーダにて治療して効果が出てきたときに今度は副作用で甲状腺と腎臓の機能が低下 … 同じ立場の者として、本当に良かったと思いました。 ついに「外科部長」に・・ お父さまは、医学的な治療(痛みをとるだけでも)が必要な患者ですから 私の実父は5年前に末期の前立腺がんが発覚し、その時点で余命1年と言われました。 長女が亡くなって間もなくは、頭の中は長女の事ばかり。家の事は何も手につかず、起こった出来事すべてを長女に結びつけ涙してばかり。 柳田邦男(1992)をもとに、闘病記を書くことの意義にはつぎの6つの利点ないしは社会的機能が考えられよう(引用は星野 2012:6を参照にして池田が拡張した) 本当は産まれる前に寿命でしたが、 末期ガンを宣告されました。余命は長くて1年です。自分自身の覚悟はできましたが、子供の心が心配です。高校一年生と中学二年生の男子です。病気については自分の口から伝えました。予想どおり大きなショックを受けた様子です。時間が経 どうかたくさん、たくさん泣いて下さい。 そしてママの笑顔をありがとう! 私は今年の初めに娘を突然亡くしました。前日まで元気でした。 今後のこととなれば、母の場合は、厳しい状態ではありましたが ・・・そうだよなぁ!その日が来たんだな~・・と思い、父に話しました。 末期がんでただ死んでいくだけの患者がイタイイタイと泣いている。 一番ビックリしたのは・・1ヶ月に1回外来で行く状況(慢性膵炎で)のある時・・。 だから、いまのこの自分をどうか否定しないであげてください。 (でも私は・・この元気さが、いつか突然ひっくり返る瞬間が来ると思っていました) もちろん、これからも自分の言葉で死の意味、別れの必然、人生の意義などを語っていくつもりですが、なにぶんにも時間が限られています。 支えようとするどころか、部屋で一人で泣くことしか出来ませんでした。 いつも側で見てきた私たちも「今回は本当にヤバい」と思い、家族4人交代で常に父の側にいました。 その後の抗がん剤治療も順調に進み、やっとガンだったのかと知りました。 自宅で疼痛のコントロールは何とかできてきていたのですが、足がむくんで歩くことができなくなり入院しました。 「痛い」「苦しい」「辛い」・・この3つをとにかく・・ 私自身、いまだに自分が「乗り越えた」状態であるとは思えません(どういう状態になれば「乗り越えた」になるのか定義も曖昧ですし)。 最後にあなたは一人ではありません。 退院/転院させることで、父を苦しめることになるのではないか?と思えて仕方がないのです。 同じ病院にホスピスなどがあり。速やかに動かせるならいいかもしれませんが。 長男が率先してみんなで協力してお母さんを助けていくよと言ってくれました。私の死が決して悲惨な悲劇ではなく、また敗北でもないことを徐々に理解してきてくれています。 質問がパッと目に入り、少し迷いましたが、 お礼が遅くなって申し訳ないです。病院暮らしでネットがままならないのです。 そして、その日のうちに葬儀会社が来て、葬式が終わり今日に至るのです。 お父さまにしても、いつ頃まで生きられそうだという、たとえ医者の言葉でも おっぱいをあげてから寝かしつけたのは私です。娘は寝かしつけた1,2時間後に亡くなったようです。深い眠りについてしまった私は、翌日起きるまで、娘の異変に気が付きませんでした。主人も良く眠っていると思ったようで、朝早く、起こさないようにそっと出勤したようです。 あれから約3年経ちましたが、記憶の中のお父さんと被って、久々に泣きました。 「パパ後3ヶ月しかもたないって…」 母を肝臓がんで亡くし、現在私も乳がんの再発で治療しており ただ気になるのは、そんなに弱ったお父さまを『今日明日にも』退院させようとすることが 半年ほど、何もやる気がせずただ泣いたり、今の自分に失望したり… 治療は、検診を受けた病院ではないと推測していますが、経済的に可能なら、他病院でのセカンドオピニオンを受けることをお勧めします。 体験に即したお話し心にしみました。 発見した時、助からないのは一目で分りました。 5日後に亡くなりました・・眠るように気分良さそうに! いびきをかいて眠る時間が多くなり(昼夜逆転している...続きを読む, 各症状について、可能性のあることを書きます。  あくまで脳腫瘍の例ですが、参考になればと思います。, 5年前に左乳房全摘後ホルモン療法を中心に治療し、1年程前に骨転移し始めてからは放射線治療、最近抗癌剤もしています。でも、かなり元気なんです〈普通に歩いて家事もすべてやっています。)自分ではまだまだ大丈夫だと思っているのですが、親戚や友人の夫など、あまり親しくない人にかぎって、「残り少ない人生なんだから、子どもと沢山過ごすべきだ」とか、「骨にまでいってるんだからいずれ、歩けなくなる。風呂にも一人じゃ入れなくる。」と、もうすぐ寝たきりになるような、あと1~2年以内には死んでしまうようなことをいいます。気にしない!と思っても、若いから進行が早いのかな・・ある日突然ガクッとくるものなのかな・・と不安にもなります。癌が骨転移している30代の方の色々な状況を聞かせていただければ幸いです。, こんにちは、お元気に過ごしているとのこと、なによりです。私自身ではありませんが、妻が31才で同じように左乳房全摘し、3年半前から再発治療を受けています。最初は骨転移でしたが、1年ほど前に肝転移と肺転移が見つかっています。 栄養はいったん胃腸でエネルギーを消費して消化吸収され、肝臓でエネルギーを消費して体で利用できるように組み立てられます。ここまではエネルギーになりません。しかし、その後利用できなければ、再びエネルギーを消費して肝臓で分解され、腎臓から排出しなければなりません。 今私は一年遅れの高校三年生です。 確かに厳しい状態ですが、今できる、いいと思うことをやられたらいいのでは と思います。 それを見て、私は二人を困らせてはいけないと、泣いてはいけないと誓いました。 沢山笑ってくれるようになりました。とっても元気にバタバタ手足を動かして、お名前呼ぶと、にや~として。でも、もう何もしてあげられません・・・もう会えません。一緒に桜並木をお散歩するのが夢でした。温かくてふわふわしてたあの子はもういません。娘があまりにも大きな幸せをくれたので、失ったものの大きさに押しつぶされて、泣いてばかりです。小さな小さな体に全身メスを入れられ、本当に最後まで良く頑張ってくれました・・・・。そして最後にかわいそうな事をしてしまいました。 「癌が成長してしまう」は、上記のようなことを患者さんやご家族が理解しにくいために昔から使われているロジックですが、実際には栄養点滴が百害あって延命の効果は全く見られないことが研究でおおよそ分かっています。 「有難う!・・そうだよね!痛そうだモンね・・お願いするよ!」と告げました。 いろいろ自分で調べたところ97%の確率で死に至ることを理解しました。 残す手紙には私の全てを伝えたいと思っています。 お父さまが少しでも楽になられるよう祈っています。, 初めて記入させていただきます。 お話。身につまされて泣いてしまいました。 転移があるため手術はできない。 家族に直筆の手紙も書き始めました。 そして、今、心掛けていることは日々笑顔であること。とにかく苦しさは見せないようにしています。 最終的な症状は、血圧が下がる、尿の出が悪くなる、呼吸が浅くなるなどです。自分で痰を出すことができなくなると、常に痰が詰まることによる窒息が心配になります。喘鳴が強くなったときは、すぐに痰の吸引をしてもらうようにして下さい。, 各症状について、可能性のあることを書きます。 このような病状なのですが、どういう状況にあると考えればいいのでしょうか。主治医の先生に聞いても的を得た答えを得られずにいます。 冷たく硬直した体を必死で温...続きを読む, お嬢様の、18ヶ月の人生はとても輝かしいものだった事と思います。 おすすめ頂いたように中ニの息子とは交換日記を始めました。 池田光穂. やっとお父さんの死から立ち直ることができたんです。 ガンを克服し会社にまで復活して頑張ってたのに… 亡くなる前日、いえ当日の午前まで普通に話もし食事も取りました。 数日前からは痰がよくからむようになってきました。息苦しい時もあるようです。目も見えにくくなっているようです。 移転先を探すのもなかなか大変なことですし。 こんなんじゃ、お父さんより私が死んだ方が…なんてことを永遠と考えてました。 お気にさわったら申し訳ありません。 くれぐれもお大事になさってください!!, 質問拝見しました!! 妻の死、息子からすると母親の死を息子にどう説明するか、これは親としてとても大きな問題だと思います。, 息子は生まれてから、立ち上がって歩けるようになるまで少し時間がかかったのですが、ようやっと立ち上がってヨチヨチ歩けるくらいの時に妻が乳がんんになり、子供の人生の大半は母親が病気の状態で育ってきました。, 息子も4歳、5歳になり、周りのお母さんとは違うことに少しづつ気づいてきます。家では髪の毛がないのに外ではカツラをつけてあるく、いつも病院で注射をしてそのあとは家でぐったりしている。, といっていました。息子はいつもそれを聞くと意味があまりわかっていないようで、何故か嬉しそうにニコニコしていました。, 話は戻りますが、こうして、息子は生まれてからいつもママが病気の状態で、それが当たり前に育ってきたため、なんとなく「いつか死んじゃうんだな」ってことはわかっていたようです。, ただちゃんと説明できたのはこの後に書きます病院の子供の心のケアを専門に対応しているチームの皆さんのおかげでした。, って聞かれたことがありました。私は不意を突かれたような気持になり、妻が緩和ケアに移ってからというものの、もちろん病院に泊まったりも一緒にしていましたが息子も飽きてしまうので度々親に預けるようになり完全に息子の心のケアを怠ってしまっていました。, 「いえ、特別何も、、、いろいろ病気が悪くなってきていることくらいは伝えています。」, 看護師さん:「もしよかったら子供の心のケアをしているチームが病院にあるので一度話してみてはいかがでしょうか?」, 私:「そんなのあるんですね。(昔から心のケアとか他人ができるもんじゃないだろ、とか思っていた私はあまりノリ気でありませんでした。)」, 私は、確かにこのままでは息子にちゃんと説明できないまま、妻が亡くなるのも後々子供にとっても、私と子供の関係にとっても良くないと考え、話でも聞いてみることにしました。, それが彼らのアドバイスでした。色々な親の考え方があると思いますが、彼らはそう言い切りました。, 今度その冊子を見つけたら詳細をブログでも書いていこうと思いますが、確か以下のように何話か、段階的に書かれていた記憶があります。, それをできるだけ1日1ストーリー読み聞かせる、そして最後になくたった時に最期のお別れの時のストーリーを読んであげるといった感じだったと思います。, 初めは息子も怖がって、読み聞かせようと思っても拒否していましたが、大切なことだから、と言い聞かせ何とか読んでいきました。, もちろんこんな内容平常心を保って読めるわけもなく、毎回涙ボロボロで顔をぐちゃぐちゃにしながら子供に読んであげました。, もちろん、この本と担当者の方のアドバイスは適格で子供に説明するという意味では凄い助けになってのですが、, 積極的に少し食べられるシャーベットを口に運んであげたり、歯磨きの手伝いをしてくれるようになりました。, 残り少ない時間をママと過ごして少しでもママのお手伝いをしてあげようという気持ちになってくれたのだと思います。, それからも専門チームの皆さんあ時折来てくれて、画用紙とペンを持ってきては何か妻の事を書かせてくれたり、最後の思い出を一緒に作って手伝ってくれました。, というかまだ7歳だしわかっていない部分もあるのかもしれませんが、子供は私が思っていた以上よりも、はるかにとても強いし適応能力があるなと思います。, 私はまだ、半年以上経ったいまでも、仕事は100%復帰できていませんし、やる気も起きません。家族皆で行ったレストラン、公園、一緒に食べた食べ物、写真を見るたびに落ち込み、悲しくなり、涙がでてきます。, 次回のコメントで使用するためブラウザーに自分の名前、メールアドレス、サイトを保存する。. 実はもう一つ、母には隠していた事がありました。3月一杯で10数年務めた会社を辞めていました。 医師から「手術室から(生きて)出られないかも知れない」と言われていた娘、生まれた姿は全身浮腫みでパンパンでした。でも3日間も生きてくれたんです。 ないとは言えないが、見えない状態)お医者さんも首をひねっています。 そうしていくうちに、今後の生活に目を向けられるようになり、感情をコントロールできるようになり(小さい子を見ても激しく落ち込んだりしなくなる)。 肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化...続きを読む, 内容に不快感を持たれる方がいらっしゃいましたら、申しわけありません。予めお詫び致します。 命にかかわることですし、遠慮せずにセカンドオピニオンを求めた方がいいと思います。 願いを叶えたのは娘さん。 入院後は足のむくみは取れたのですが、足がほとんど動かなくなり寝たきりになってしまいました。 優しいあなたの笑顔が好きと言ってましたよ。 それを乗り越えたらのなら、私は、あなたは人の痛みや苦しみを、人よりなん十倍も身に染みて理解し、やさしくなれるんです。 世間で言われる症例数の多い有名な病院、イコール絶対ではない、という教訓も得ました。 11ヶ月弱経った、ある日の朝・・父は「痛いんだ・・」とぽっつり言いました。 本と言う形にとらわれず、何らかのものは残してあげたいと思っています。 けれど肺も育っていないため、呼吸(ガス交換)が出来ず、生後2日目の夜に亡くなりました。 看護もたいへんでしょうが、合間には体を休めて下さいね。 本日の担当医も「レントゲンや血液検査などはしていませんが、熱が下がっているので肺炎は収まっている」と言っていました。泌尿器科の先生は1年前の転院時に行った検査資料でお話をされていると思います。 でも、みるみる痩せていく体、何度も繰り返す嘔吐…色々なことが私には死が迫ってくるようで怖くて怖くて耳を塞ぎ目を閉じ、この世現実が夢だったらと願いました。 検診を受けたために結果が不正確で発見が遅れた人を無視していますよね・・・。少数派だから・・・というのは悲しい考え方です。 末期癌の母は現在ホスピスケアを受けています。 ただ家族に何か残さなければの思いが私を駆り立ててくれているのだと思います。そんな意味では、絶望や恐怖から救ってくれているのかもしれません。あらためて家族に感謝してます。 そして・・「そろそろモルヒネ打ちませんか?・・その分色々あると思いますがどうでしょう?」・・と。 退院を強制することはできないはずだと思います。 私のときは、お父さんが発病したのは、私が中学二年のときでした。 がんが特別な毒素を出すわけではありません。 宜しくお願いします。, 4/17 夕方、最愛の母が永眠しました。 だから、たまには外にも出て、壊そうとする努力をしてください。 おかげで出生届も出せた。生前の写真も撮れた。ありがとう。呼吸が苦しい中よく頑張ってくれたねと娘を誇りに思っています。 お礼が遅くなって申し訳ありません。病院暮らしでネット環境がままならずこんなに日数が空いてしまいました。 けれど肺も育っていないため、呼吸(ガス交換)が出来ず、生後2日目の夜に亡くなりました。 でも中学三年の秋、突然お母さんに涙目で一言 文章がうまくまとまっていなくてすみません。 専門家なのでわかりませんが、私も2年に一度、マンモの検診を受けていましたが、結局自分で見つけるまでわかりませんでした。(ステージは違いますが・・・) わかりますか?娘さんはあなたの笑顔が望みなんです。 今まで質問させていただいておりました状況から180度変わってしまい、家族で困惑している状態で質問をさせてください。 まずは、医師や看護師と相談してください。, 「人はがんでは死なない」という言葉があります。 それは、がんが増殖することで、臓器に様々な障害が起き、 親の死は女子には格好の話のネタなのは以前別の人がそうだったので黙ってもらってました。 例えば「神奈川乳がん相談室」や「ティームオンコロジ―」などの掲示板などです。ここでは専門的なことが質問できます。 しかし本日は一転。今まで見たことないような鬼のような形相をしており、血圧計や心電図などを外していました。言葉は怒鳴って話しますが何を言っているか意味が分かりません。 「それを治療して、昏睡から醒めさせて、延命をする」ということを 可哀想だとか惨めだと思われたくなくて、学校ではバカみたいにテンションをあげてましたが、家では、部屋で泣きながら勉強してました。 だから、その日はあなたに笑って欲しくて沖縄へ! 様々な症状の一つには、疼痛もあります。 下血は消化管からの出血を示しますが、可能性としては原発巣からの出血が最...続きを読む, 何度もこちらで質問をさせていただいております。 目が離せない状態で、今動かすことがいいとは思えません。 ただ、確かに次女を授かってからは、より自分の今の生活を思いやれるようになりました。 長女の死を受け入れられず、お骨箱を抱っこしたり、はだけたおっぱいをあてたり、外出に一緒に連れていった事もありました。そんな私を、周囲は温かく見守ってくれ、気の済むようにさせてくれました。 お父さんが死んだあと、家は母子家庭になり、お母さんは自分が守らなくてはと思うようになりました。 警察の現場検証と司法解剖の結果、「原因不詳の死」でした。私は半狂乱で警察の方に「娘は私が寝かしつけました。だから私が殺したのも一緒です。なぜ私は裁かれないのですか?」そんなことを言ったように思います。殺したのか?と聞かれれば決してそんな事していません。 トリプルネガティブとか、特殊な悪性度の強いがんなのでしょうか? 医師から、これ以上お腹にいさせたら浮腫みで死んでしまうと宣告されました。30週で帝王切開しました。 そんな空気の中でさえ、事の異常に気付かず、盲腸の手術程度に思ってました。 何時間にも及ぶ手術に集まる親戚、心配そうなお母さんの顔… 4月頃から急に階段を転げ落ちる様に容態が悪くなってしまいました。 同じ病気にかかり、転移再発したという人にも出会い、ネットのブログでもよく見かけますが、私は転移再発しても、乳がんは10年以上延命できる時代になって...続きを読む, 兄(42歳)が末期の肺がんで入院しております。緩和ケア病棟に入っておりここ2週間の間に食事が殆ど摂れなくなり点滴だけで命をつないでおります。ところが最近になり主治医の先生からその点滴は水分に電解質が少し混じっただけのものであるとゆう事を聞きそれではどんどん痩せ細っていくばかりではないかと今でも望みを捨てていない本人と家族は危惧しております。先生曰く兄の体は摂取した栄養分が癌に行ってしまう癌悪液(益?)質になっているとの事で栄養分がある点滴をうつ事は逆に癌を進行させてしまうので今の状態が一番良いと言っています。ですが少し以前は少量ですが食事を摂っていましたしそれが許されていたのに栄養分のある点滴がうてないとゆうのはどうも矛盾している様な気がしてなりません。ちなみに病院側からは兄に残された時間は残り少ないと何度も言われており最後まで望みを捨てていない私達からするともっと出来る事がある筈なのにそれをしていないのではないかと感じられる事があり点滴の件はその一つなのですが末期の癌患者にあえて栄養分を与えないとゆうのは癌の進行を抑える為に妥当な方法なのでしょか?またそれはもしかしたら回復するかもしれないとゆう事も視野に入れても有効な手段と言えるでしょうか?専門分野の方、もしくは同じ様な経験をお持ちの方からのアドバイス又は御意見を伺えると大変に助かります。どうぞ宜しくお願い致します。, 兄(42歳)が末期の肺がんで入院しております。緩和ケア病棟に入っておりここ2週間の間に食事が殆ど摂れなくなり点滴だけで命をつないでおります。ところが最近になり主治医の先生からその点滴は水分に電解質が少し混じっただけのものであるとゆう事を聞きそれではどんどん痩せ細っていくばかりではないかと今でも望みを捨てていない本人と家族は危惧しております。先生曰く兄の体は摂取した栄養分が癌に行ってしまう癌悪液(益?)質になっているとの事で栄養分がある点滴をうつ事は逆に癌を進行させてしまう...続きを読む, 栄養が少なくて痩せるのではなく、体が栄養を受け付けなくなって、栄養をとることがかえって体の負担になるため、食欲が減るのです。からだは栄養を受け付けないため、これまで蓄えた栄養を取り崩すことを行います。 ありがとうございました。, ありがとうございます。 それは退職時期を1、2ヶ月遅らせて欲しいと言う事です。理由は、母は私が働く姿を喜んで居てくれていて、このタイミングで自分が無職になったら母に余計な精神的ストレスを与えてしまう、それで死期を早めるような事があっては絶対にならないと考えたからです。 その様な言葉は・・冗談でも出る内容とは違ったので、本当にビックリし、又...続きを読む, がんの末期において危険な状態の血圧の低下というのはいくつぐらいまで下がっていくと危険なのでしょう。また呼吸の浅さはどうやってわかるのですか。酸素吸入の目盛りを上げると血圧が上がるのはなぜですか?脈拍数の低下の非常に危険なボーダーラインというのはいくつなのでしょうか。他に油断を許さない危険な状態というのは何で判断するのか教えて下さい。, 兄が脳腫瘍で亡くなりましたが、そのときの状況でも。 医療関係者ではないので、専門的なことはわかりませんが 最後までマンモグラフィーに私のがんは写らず、結果的には 意識は最後まであるものですか? 状況によりますが、オムツということも考えてください。 ◎とにかく・・とにかく「痛い」「苦しい」「辛い」の状態を一番少なくして欲しい。 先に昏睡状態になる場合もありますし、最後まで、意識がはっきりしている 突然として 私はというと、今は元気に生活し、仕事もしています。 痛みがでて・・毎日通院で「処置室」で点滴を8時間して帰る日々が続き・・。 ただ、父に呼ばれ嫁ぎ先から帰って一晩泊まった次の朝、 私も自分の妊娠中の生活のあらゆる些細なことを責めました。あの時食べたあれがまずかったんじゃないか、あの時自分がしたあの行動のせいだったんじゃないかと… せん妄、抑うつ、不安等などの精神症状は癌の末期にはしばしば出現します。疼痛コントロールがうまくいっていないときは出現の頻度も当然高くなります。 ドラえもんの闘病記を読んだら「のび太の恐竜」より泣けた(5年くらい前の本です) コロナのど真ん中に妻が出産しました。 「芝園団地に住んでいます。」という本が面白かった。日本の未来だね。 暇なのでカネカの苦情を集めます。カネカに送ります。 この状態をがん悪液質といいます。 母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予感がしました。 以前のような素っ気ない返事ではなく息子なりに気を遣った返事が来るようになりました。 良かった・・と思いました。 看護師さんからも強い人と言われましたが、実際にはそんな立派なものものではありません。 私たち家族はどのような選択をしていけば良いのでしょうか?  本当に死の直前では、呼吸が見るからに弱弱しくなり、呼吸が止まることがどんどんと多くなりました。呼びかけると思い出したかのように呼吸を始める感じでしたが、まさに「息を引き取る」という表現そのままに死へ至りました。 こんな状態で動かすのはおかしいということを、主治医に話してみてはどうでしょうか。 足が動かなくなったことについては、廃用性の筋萎縮に伴う筋力の低下や神経障害(両側の場合は脊髄への転移などの可能性)に伴うものなど。 別れまでの12日(18/18)肺がん闘病記 驚くほど短くて、長い時間でした。 ピーチーに妙な兆候が見えたのが3月15日。 難しいかもしれませんが...。 なんかだらだらと長くなってすみません。何が質問かと言うと私は母が死んでから、殆ど泣かないのです。がん告知を受けた時やがんセンターで余命を聞いた時はあれほど取り乱したのに今は何故か冷静なのです。一方、母の葬儀以降、毎日空虚で無気力になってしまい、無職だし、仕事探すとかしなければとは思うのですが、やる気が起きず、母の写真を見たりして過ごしています。 私は乳がんの手術後4年で再発し、抗がん剤治療が始まりました。 貴重な体験、本当に身に染みます。 かならずよんで ね! 闘病記を書くことの意義. 高校生の長男はメールのほうがしっくりくるようなのでメール交換してます。 質問者さまのさぞお辛い気持ち、本当によくわかります。私も最近になってようやく、普通の精神状態になりましたが、しこりを見つけた3月から治療が始まる7月くらいまでは、何を見ても悲しく、テレビもを見ることも本も読むこともできずに泣いてばかりで、精神科にも通いました。 頭が真っ白でした。 ただ、父に呼ばれ嫁ぎ先から帰っ...続きを読む, ※各種外部サービスのアカウントをお持ちの方はこちらから簡単に登録できます。 一般論や周りの人の意見は、気にしなくて良いのではないでしょうか。自分の気持ちが一番大事です。毎日の生活が楽しいのであれば、それがなにより一番大事な事だと思います。がんばってくださいね。私と妻もがんばります。, こんにちは、お元気に過ごしているとのこと、なによりです。私自身ではありませんが、妻が31才で同じように左乳房全摘し、3年半前から再発治療を受けています。最初は骨転移でしたが、1年ほど前に肝転移と肺転移が見つかっています。 だけどある時、自分が心から楽しめるものを見つけ、その時からこんなんじゃダメだと思いました。 根本的な話ですが入院時一切の延命措置はしない、命を長らえるための治療は行わない。 貴重なご意見ありがとうございました。, ありがとうございます。 退院後は病院にいるときよりも体調は良さそうでしたが、痛みを取るための麻薬が多いため、常に意味の分からないことを話し、幻覚もみていましたが、訪問介護の方がとても良くしてくださって、時々とんでもない大騒ぎを起こすことはありましたが、とりわけ穏やかに過ごすことができました。 1年でステージ4まで行くものなのでしょうか? そのため、根治はなくて、治療の目的は延命だといわれました。 ◎手術は絶対したくない!!・・体を開けてしまったらもっと不自由になるに違いない。 医師に私が伝えました。 骨転移は比較的進行が遅いですし、何よりもポジティブな気持ちでいると進行も遅くなるそうですよ。乳がんの進行は、非常に個人差のあるもののようですから生存率何パーセントだとか、一般論は妻も全く気にしてません。 努力なしに得られるものなんてたかが知れてます。 素敵なお母さんお父さんに愛されて、幸せな一生だったと思いますよ。 だけど、私が自分を責める事を亡くなった娘が望むのか?と考えるようになりました。 私たちの死亡率は、がんでない人も等しく、100%ですからね。, 4月に乳がんの告知を受け、5月に全摘出手術、現在ホルモン治療中です。 警察では「現代の医学では解明できない数十万人に一人の割合で起こる原因不詳の死。事故死でも窒息死でも無く、乳幼児突然死症候群とも分類しがたい。8ヶ月で亡くなってしまった事、それが娘さんの運命だったと思います。」そう言われました。 この状態であれば御本人の苦痛をいかに取り除くかは、ご家族ばかりでなく医療側の比重が大きくなると思います。 鼻から酸素投与をしておりますが、本日より外す方向で投与量を少なくしているとのことでしたが、とても呼吸が苦しそうで、時々肩で呼吸をしています。 退院後も母は前向きに生きていました。それは恐らく、がんになっても何年も生きている人が居ると言う事や治療の効果を期待していたんだと思いますが、私はネットや本、がん患者の家族会に参加したりして聞こえてくる手術が適応出来なかった場合の末期すい臓がんの現実を知ると1年は持たないだろうとは思っていました。 今まで質問させていただいておりました状況から180度変わってしまい、家族で困惑している状態で質問をさせてください。 私は初めての子(長女)を生後2日で亡くしています。 私の子供達もお父さん子なので同じ思いを抱くかもしれません。 肝臓にも転移しており既に手遅れでした。 「胃ガンです!余命1年です」と言われて帰ってきたのです。 いろいろな方からご親切に回答をいただきまして大変参考になりました。 認知症による徘徊など、病気ではないものに対して退院を迫るということは聞きますが そのときの内科の担当医から重度の肺炎を起こしており、あと1週間もてば…と言われました。 ということ。 また、子供たちとの限られた時間のなかで有意義な過ごし方がありましたらご教授下さい。 お父さまのことさぞ心を痛めてらっしゃるでしょうね 在宅でしたので、自力ではトイレも行けなくなっていて、おむつの交換、座薬を入れるなど私と家族で行いました。母は「男の子にこんな事してもらうの恥ずかしい」と嫌がっていましたが、私は「そんな事気にするな、恥ずかしがっている場合ではない」と言いました。確かにおむつの交換、座薬などは最愛の母とは言え、きついです。でも他人に任せたくなった。そう言う汚い部分だけ人に任せて、臨終の時に「お母さん」って泣くのは嫌だったからです。 これは、モルヒネなどによりかなりコントロールできるようになってきました。 残念ながら、現在の医学ではいったん減った進行癌の体重や体力を元に戻す方法は見つかっておらず、そのような時期には無駄に体力を減らさない(含む抗がん剤)がとても重要となります。, 栄養が少なくて痩せるのではなく、体が栄養を受け付けなくなって、栄養をとることがかえって体の負担になるため、食欲が減るのです。からだは栄養を受け付けないため、これまで蓄えた栄養を取り崩すことを行います。 質問者様の身内の方が、その患者さん・・という事で良いのですよね? 乳がんの闘病が始まってからというものの、すべてが治療が中心となり、子供も一緒に引っ越しを繰り返してきました。初発は日本に帰り、その後、一度無治療状態になった時に私の仕事先、子供の学校があるアメリカに帰ってきました。 免疫療法や温熱療法など、いろいろなものがあるようで、詳しいことが知りたいです。  また、血中の酸素濃度が95%を下回ると危険な状態と言えるようです。逆に言うと、95%を上回るように酸素を送り込む必要があります。 「苦しみが増しますか?」 母が死ぬくらいなら、自分が死にたい、死んだ後、精神的に耐えられないと思ってました。ですから、昨年夏頃から調子が悪く、行きつけの病院に行っても原因が分からないとの事で、地域の大病院で精密検査した結果、家族が先生に呼ばれ「病気と治療方針」について病院で説明がしたいと連絡を受けた時は、非常に嫌な予...続きを読む, はじめまして。 あらゆる箇所の骨に転移し、強い痛みも出てきました。 そこの先生の話では「データを見る限り、早ければ2週間後、長くても一ヶ月持たないでしょう」と言われました。私は久々に大泣きしました。 (ちょっと判らなかったので・・すいません!) もう一度高二からやり直すために転入しました。 娘はあらゆる検査で異常を出しませんでした。医師は特発性と言っていました。私にはそれが、娘の優しさのように思えてきました。「誰のせいでもないんだよ、だからお母さん、自分を責めないで。」と言ってくれている気がしたんです。 次女が生まれ、初めての子育てで頭がいっぱいになっている今、長女の事は大切な大切な思い出となって私の心の中にあります。 そんないまを悲観しないでください。 医療関係者ではないので、専門的なことはわかりませんが 私はあなたの文を読んで、隣でお母さんをずっと支えていたあなたを心から尊敬します。 これから母の面倒を見るのは私の役目なのでこれからどうなるのか不安です。 私のお父さんも膵臓ガンでした。 今思えば自分は本当に幼かった 私の実父は5年前に末期の前立腺がんが発覚し、その時点で余命1年と言われました。 大場大 進行性乳がんのため闘病中であったタレントの小林麻央さんの訃報が流れ、多くの方がショックを受け、まだ悲しみに暮れているのではないでしょうか。病気が公になって以降、麻央さんが日々つづってきたブログから届くひとつひとつの声や言葉が、多くの人たちの共感を呼びました。 長女を亡くし2年経ち、次女が生まれ3ヶ月になる今、思い返してみると私は周りに恵まれたと思います。 その様な言葉は・・冗談でも出る内容とは違ったので、本当にビックリし、又、とてもショックでした。 痰や呼吸困難は、呼吸器感染症の合併もしくは心不全徴候などの可能性があります。 ですので、再発の不安と恐怖に悩まされながも、「うまく治療すれば大丈夫・・・」なんて、考え方を変えるようにしています。先生も「乳がんにはいい薬がたくさんある」とおっしゃっていました。 頭の中が混乱しており、状況説明がうまくできていないと思いますが、どなたか教えてください。宜しくお願い致します。, 何度もこちらで質問をさせていただいております。 当時私は私立の女子高に通っていました。 まずは、御本人の意識を保った状態で苦痛を取り除くことが目標ですが、それが困難になればある程度鎮静させ意識レベルを落とすことも必要になります。肺に転移しているようですが、呼吸不全が進行してくると酸素投与だけでは呼吸困難が改善されないこともあり、そのような場合は体力の消耗がはげしく悪循環に陥りますから、積極的に鎮静させます。結果的に、ご家族との直接の会話はなくなることも多いですが、話すことができなくても完全に意識をなくしているとは限りませんから、気持ちの平安のためにも御本人に話しかけてあげることが大切だと思います。 昨年の10月に膵臓がんが見つかり、約半年の闘病をしていました。私は小さい時から母が大好きで、この世で絶対に起って欲しくないことは「母の死」でした。 10月 14, 2018 / 【第1章】がん宣告〜奇跡, 子供のこと, 闘病記 [131]神頼み① 末期がん告知されて 327日 15コース目はじまりました。 最後に、参考になるかは分かりませんが、風呂敷に包んだお骨箱を子供だと見抜いた方(お骨を抱えて行った沖縄旅行で出会った、初対面の方)から、後日に頂いた言葉を貼りますね。 栄養が不足=飢餓状態とことなり、食欲がわかずに、筋肉が痩せてくることが特徴です。 私のお父さんも膵臓ガンでした。 #闘病に関する一般一般の人気記事です。'|'ブログについてのおねがい'|'さびしい'|'子供2人の命を奪った小児がん'|'皆さまへ&ゴエママへ'|'363日頑張りましょう そして余命一ヶ月と言われ、あれから1年が過ぎようとしていた今年7月。呼吸困難、血圧低下、意識不明となり救急搬送、そのまま入院となりました。 でもこんな状態で父はまだ生きていけるのでしょうか? すこしずつ、言葉の「ろれつ」が回らない感じ、色々な事がわからない様子が見えてきましたが・・それと同時に・・。 ここ数か月のいきなりの出来事でパニックです。 肝臓のがんが増殖して、肝臓の機能が低下すれば、体内の様々な化学作用 娘の闘病記録は妻がつけていました。 ノートにして5冊くらいありました。 娘の逝去後も1冊分つけていたと記憶しています。 これらの闘病記録ノートは妻ががんで亡くなったとき、妻に持たせて火葬しました。 それが永眠した妻の希望でした。 今頃、天国で娘と読み返しているかもしれません。 そのため、手元にノートがないため、記憶を探りながらになります。 後から書き足す前提で書くので、ちょこちょこ読みに来てください。 ちぐはぐしていてもご了承くださいね。 妻の闘病記ブログはこちらです。 >… 私は手術後の病理診断結果に不安をいだき、セカンドオピニオンを求めたところ、大きく診断結果が変わり、それによって治療方法まで変わってしまいました。 例えば、子供の死を無駄にしないために、同じ境遇の人向けに闘病記を出版したいとします。 動機と活動は素晴らしいですが、執筆をしていくにつれて、どこかで無理をして精神的に重くなります。 そして検査入院で「スキルス胃がん、リンパ節転移」とわかり・・。 どんなにしても悔いは残るでしょうけど、なるべく少なくなるようにしたいです。 私は初めての子(長女)を生後2日で亡くしています。 宜しくお願いします。, 「人はがんでは死なない」という言葉があります。 ただ、その時は現実には母は生きているし、同じ家に住んで話もしたり、TVを一緒に見たりしていたので絶望と言う気持ちではなかったのです。ただ、今年の正月の時に家族が集った時に全員で迎える正月は最後だろうなと思って凄く寂しくなりました。 苦しみが増しますか?  そして次女を妊娠すると、今まで長女一色だった頭は長女:次女=50:50になり、妊娠生活を健康に過ごすことに頭を使えるようになり。 そんな空気の中でさえ、事の異常に気...続きを読む, 義母が末期癌です。大腸から頚部のリンパ節に転移し、肺にも影がみられるそうです。 そして担当医から言われるがままに放射線、抗がん剤、ホルモン剤などのがん治療を行い、なんとか4年命を長らえることができました。しかしある時からまったく効果がなくなり、1年前の7月「あと1ヶ月程度の命ですからご自宅で看とられてはいかがです...続きを読む, 初めて記入させていただきます。 2週間ほど前から下血が見られるようになり、たびたび輸血をおこなっています。食事はほとんど取れていません。薬を飲むために数口食べるのがやっとです。 末期症状は、医師や看護師がよく知っています。 先のことは分かりませんが、できるだけのことはしていますし、何より毎日を二人(と一匹)で楽しく過ごしています。今の医学では根治は難しいのかもしれませんが、このまま癌と共存しながら、あともう少し長く頑張っていれば、医学も発達して根治できる技術が生まれる日が来るかもしれない、と期待してます。 実際近所のママ友は2000年初発2008年再発で、先頃亡くなりました。 ピンクリボン運動とか、「乳がんは早期発見が大事です。検診を受けましょう。」とかきくと、腹立ちさえ感じます。 だけど日々暮らしていくうちに、やらなければいけない事(買い物、振込み、冠婚葬祭)に少しずつ目を向けられるようになり、涙の量が減っていき、生活に支障はなくなり。 そのお陰か、高一は奨学金ももらえ、クラスでも1位の成績でした。 それから4年が過ぎました。放射線と抗がん剤治療の後、私のがんは消滅し(寛解  なんだか急に現実味がまして怖くなり、これからの人生の色々な思い出のなかにお父さんはあといくつ居られるのだろう…そう思うようになった。 会社が提示した退職は3月末でしたが、自分は母の状況の事を説明し、4月若しくは5月まで延期してくれないか。3月一杯で社員待遇は終わり、身分はバイトでも何で良いから、そして約束の時期がきたら必ず退社すると必死に食い下がりました。上司は一旦は懐柔を見せ、マネージャー会で検討させてくれと言ってきました。